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術後2ヶ月 [肺腫瘍闘病記]

肺腫瘍で手術・退院をしてから、2ヶ月が経ちました。

私の仕事は力仕事もあるため、
大事をとって、2ヶ月は運動や力仕事をしないで
デスクワークのみにするようにとドクターから言われていましたが、
今週からは、そのような制限もなくなり、
全く普通に仕事をしながら、日常生活を送っています。

私は今回手術を受けたのが初めてだったのですが、
最初の頃は、傷口のあたりとその他の体の部分が
繋がっていないような不思議な感覚になり、
力仕事はしばらく無理だろうなぁと、漠然と思っていました。

でも、手術から1ヶ月が経ったあたりで、
少しずつ自分の気持ちに体がついていくような感覚になり、
今週からの仕事の完全復帰についても、不安はほとんどありませんでした。

震災、そして手術と、
ここ数ヶ月はいろいろありましたが、
少しずつ日常に戻っているような気がします。

今でも、触ってみると傷口の周りに感覚のない部分がありますが、
あまり気にならなくなってきました。
これもきっと慣れなんだろうなと思います。
そろそろ、スポーツクラブ通いも再開させようかな^^。
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#12 入院費 [肺腫瘍闘病記]

手術入院をする場合、最も気になるのは、
どのくらいの金額になるかということだと思います。
今日は、その話をしようと思います。

私が入院していた大学病院では、
入院前最後の外来診察が終了した時に、入院手続きの説明があります。
その際に、担当の方から「高額療養費制度」のことを教えていただきました。
この制度は、70歳以下で保険証を持っている人なら誰でも適用になるのですが、
入院前に申請しておくと、退院時の金銭的な負担を軽減することができます。

所得や、これまでの制度の利用回数に応じて、
月ごとの医療負担の上限が定められているのですが、
詳しいことは、下記のサイトを熟読されることをお薦めします。
http://www.az-oncology.jp/guide/index.html

この制度は、差額ベッド代・食事代・貸し病衣代(手術をする人は病院から数日借りることになります)
は対象外になります。



私の場合、今回の手術入院(6泊7日)では、下記のような内訳でした。

★保険証(3割)適用分
 ・診察群分類(DPC) 252,290円
 ・入院料等 8,430円
 ・医学管理等 6,800円
 ・検査 500円
 ・投薬 1,260円
 ・病理診断 24,900円
 ・手術(胸腔鏡手術) 701,010円
 ・麻酔 19,274円            合計 1,187,930円
                                  ↓
                   「高額療養費制度」により、89,309円の負担のみでOK。

★保険証適用外
 ・病衣 70円
 ・食事療養費 3,640円       合計 3,710円


というわけで、今回の私の入院費の総額は、 93,019円でした。


私は医療保険に2つ加入しているので、入院費は全額カバーできます。
入院中は、バスタオルやパジャマなど何かとこまごまとした出費がありますが、
その分も楽々カバーできそうなので、安心しました。

しかし、保険会社に申請するための診断書は高いです。
事前に診断書を保険会社から取り寄せ、今病院で書いてもらっていますが、
私の通院している病院では、一通8,400円もします。

手術入院は、何かと金銭的負担が多いですね^^;。
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#11 確定 [肺腫瘍闘病記]

今日は、先日の手術で摘出した腫瘍の正体を聞きに
退院後初めて病院に行きました。
腫瘍の確定診断は、3週間ほどかかります。

結果としては、執刀医が手術後に言った通り、良性腫瘍でした。

良性腫瘍と一口に言ってもいろいろと種類があるのですが、
私の腫瘍は、「肉芽腫」というものだそうで、
それができた原因については不明だそうです。
一般的には、結核や肺炎などの炎症の跡にできるものだそうです。

いつかも書きましたが、
肺腫瘍と診断を受けて、良性である可能性は低いです。
手術中の簡易検査で良性であっても、確定診断でそれが覆ることもまれにあるそうです。
そんな中で今回良性であることが確定し、とてもほっとしました。

今後は健康診断や人間ドックの機会でいいので、
肺に良性腫瘍があったことを告げ、経過をチェックしていくことになりました。
肺腫瘍は、人によっては再発することもあるようです。

私が他の方の闘病記を読んでいて気になったのは、予後のことです。
たいていの闘病記は未完であることが多く、予後が分かりづらいからです。
これからも、時々予後のことについて触れていきます。
ブログが続いていく限り、これが私の生存確認になるのかなと思います。

明日は、今回の入院費について触れたいと思います。


p.s. 一昨日から、職場復帰しました。
   周囲に気を遣っていただきながら、できることからやっています。
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#10 自宅療養 [肺腫瘍闘病記]

これまでのことを振り返って書いてきましたが、
現在は2週間の自宅療養中です。

これまで自分の体に起こっていることを理解するために
ネット上の様々な闘病記を読みましたが、
励まされはしましたが、私の欲しかった情報はあまりなく、
「私の欲しかった情報」を織り込みながら闘病記を書いてきました。

数日前から「肺の影」「肺腫瘍」の検索ワードで当ブログに訪問される方がちらほら見られ、
みなさん、情報が欲しいのだろうなと思っています。

明日からは、通常のブログに戻りますが、
通院はこれからも続くので、時々「闘病記」も書いていく予定です。


毎日、家の近くにある千波湖を歩いています。

初日は、3kmを休み休み2時間かかって歩きました。
家に帰ると、足がむくみ、手の指も曲げられないほどむくみました。
肺にうまく空気が入らないことで、
心臓が十分に酸素を運ぶことができず、むくんでしまったようです。

翌朝起きると、横隔膜のあたりがひどい筋肉痛で、
これまでごく普通にしていた肺呼吸が、
意外にも複雑な操作であったことに気づきました。

とにかく、これから毎日歩くことで、機能回復していこうと思っています。


もう1つ気になっていることは、軽い神経痛です。
手術を受けると、どうしても避けられないことらしいです。
メスを入れた部分は少なかったのですが、
それでも時々、メスを入れた部分の近くが軽くピリピリとします。
特に天気が悪い日は、ピリピリ来る頻度が高く、
今までに手術を受けたことのある人から聞いていた
古傷で天気予報ができるという話はこれだったのかと思っています。


体に負担の少ない手術をしてもらったものの、
スポーツや重いものを持つことはあと2ヶ月は禁止です。
この体とどう付き合っていくのかが課題になりそうです。
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#9 術後2日目~術後5日目 退院 [肺腫瘍闘病記]

術後2日目。
手術についての詳しい説明は、私が聞く前にぢろ母に聞かせないようにとお願いしていたので、
(ぢろ母は、がんのサバイバーだけでなく、元ナースでもあります)
朝食後のまだぢろ母が来ない時間に、主治医から説明がありました。

肺の組織を取って簡易検査をした結果、良性と判断したため
良性腫瘍の部分を切除するのみの縮小手術を行った。
経過が良好のため、日曜日(手術日が火曜日だったので、術後5日)には退院できるだろう。
摘出した腫瘍の分析は3週間かかるので、最終的な診断名はその後確定する。 と。

説明後、点滴の管とドレーン菅が外されました。
夕方には麻酔の管も取れ、自由になれるとのこと。
麻酔の代わりに痛み止めが翌日から処方されるとのことでした。

この日は、患部周辺の筋肉痛に悩まされました。
前日の夕方にまた麻酔の副作用で吐き気が出て、夕食が食べられなかったため、
麻酔の量が半分に減らされていたのです。
横隔膜の周辺の筋肉と腹筋が、無意識に傷をかばっているために痛み、
ベッドから起き上がるのが苦痛でした。


術後3日目。
管のついていない状態で、病棟のフロアの歩行練習をするのは初めてでしたが、
体が急に軽くなり、歩きやすくなりました。
前日は日曜日に退院なんて無理だと思っていましたが、
大丈夫かもしれないと思えました。

夕方。病院の近くに勤めている友人がお見舞いに来てくれました。
病院内にはスタバがあるので、
友人と一緒にエレベーターで1Fまで降り、キャラメル・フラペチーノを買って、
病棟の食堂に戻りました。
初めての「遠出」でしたが、苦しくはありませんでした。
友人は同業なので、それぞれの職場の話をして盛り上がりました。


術後4日目。
土曜日だったため、医療スタッフが少ないせいか、静かな一日でした。
暑い日だったので、1Fのスタバや売店に冷たいものを買いに行って
食べたり飲んだりしていると、
ナースからは「病人に見えないですね」と冗談めいて言われるほどでした。


術後5日目。
手術の傷口のテープを貼り直してもらい、
(今回の手術では、傷口は1ヶ所も縫っていなくて、テープで止めてあるだけ^^;)
午前中のうちに退院しました。
たまたま入院を知ってしまった叔母夫婦が迎えに来てくれ、
自宅まで1時間半の道のりを車で送ってくれました。


今回私が受けた胸腔鏡手術は、事務職の方であれば退院翌日からの勤務が可能だそうです。
しかし、私の仕事は身体の負荷が多い仕事のため、
あと2週間自宅療養することになりました。
リハビリとして言い渡されたことは、ただ一つ歩くこと。
肺の機能がまだ戻りきっていないので、歩くことで少しずつ機能回復をしていくのだそうです。
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#8 術後1日目 [肺腫瘍闘病記]

集中治療室で一晩過ごし、
名前を呼ばれたので目を覚ますと、大勢のドクターに囲まれていました。
大学病院ならではの、1日2回の回診の時間でした。

起き上がり、水をスムーズに飲み込めるかどうかのテストをしました。
軽くブクブクうがいをした後で、水を飲み込みましたが、
特にむせることはありませんでした。
お昼から普通食を食べてもよいと許可が下り、
酸素マスク・尿を出す管・血中酸素飽和濃度を計測するコード・足のマッサージ器が外されました。
若干身軽になりました。

一般病棟に戻れることになったのですが、
移動は車いすでした。
ベッドから起き上がり、車いすに乗り移った瞬間、急に吐き気がしました。
女性は麻酔の副作用で、二日酔いのような症状が出やすいそうで、
吐き気止めの薬を追加で点滴してもらいました。

昼食前までには吐き気がなくなり、
昼食は半分ほど食べることができました。

昼食の後しばらくして、
肺炎防止のために、痰をしっかり出すことと、歩くことをドクターから言い渡されたことを思い出し、
病棟のフロアを一周してみました。
まだ右肺が手術前のようにふくらみきっていないので、
過呼吸のような状態になりながら、なんとか一周歩きました。
同じ病室にいる人に心配されるほど真っ青な顔でベッドに戻り、
こんなリハビリが続くのはつらいと思っていたのですが、
2時間たってからもう一度歩いてみると、初回とはうって変わって歩きやすくなっていました。
でも、普通の早さで歩くにはまだまだ時間がかかりそうです。

もう1つの問題は、肩の痛みでした。
手術終了後から、手術中に上げていた腕のせいで、
右肩がひどく凝っていました。
さすがにこれは麻酔がきかないそうで、
湿布を処方してもらいましたが、この痛みは丸二日消えませんでした。
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#7 手術 [肺腫瘍闘病記]

いよいよ手術当日。
ストレッチャーに乗せられて、手術室に向かいました。

ナースと冗談交じりに会話をしていたので、
手術慣れしているのかと聞かれ、
手術は今回が初めてだと答えると、驚いた様子でした。

手術台に乗せ換えられ、麻酔の準備。
術後の痛みにも対応できるようにということで、
麻酔を注入するための細い管を背中に通されました。
仰向けに寝てみても背中の管を感じないのが不思議。

鼻と口に酸素マスクを当てられ、私の意識は遠のいていきました。

私の受けた手術は、胸腔鏡という内視鏡の一種を利用した手術です。
右肺にアプローチするために、右腕を上げた状態で横向きの姿勢にさせられます。
右脇の肋骨と肋骨の間に3ヶ所、最大5cmの切開を入れ、
そこに機具を挿入して、患部の組織を一部切除します。
簡易検査ののち、患部の組織が腫瘍であることが確定した場合には、
腫瘍だけの切除(縮小手術)、あるいは腫瘍のある肺の中葉部が全て切除になります。

肺は普段ふくらんでいる状態ですが、
機具を入れるスペースを確保するために、患部側の肺は空気を抜かれます。
片方の肺と、気管に入れた管で、私の呼吸は確保されます。
そのため、全身麻酔の手術となります。

名前を呼ばれ気がついた時は、まだ手術室の中でした。
のどのあたりに異物感がありましたが、それは気管に通った管のせいでした。
挿入するときには、意識がなくてもいいようなのですが、
抜くときには、意識が戻ってからの作業になります。

それからぼんやりとした時間を過ごし、
私は集中治療室で一泊することになりました。
集中治療室に着くと、ぢろ母が
「先生が腫瘍は良性だって言ってたよ」と話しかけてきました。
時間を聞くと、手術室に入ってから5時間が経過していました。

ここから2時間、仰向けで絶対安静でしたが、
それが過ぎると自分で寝返りを打っていいと言われました。
でも体中管だらけで、肺が半分しぼんでいるせいで呼吸も少し苦しく、
自由には寝返りが打てない状態でした。

人工呼吸器の管・点滴の管・麻酔の管・体内の傷口の液体を体外に出すドレーン管・尿を出す管・
血中酸素飽和濃度を測る機具のコード・
肺塞栓症(別名:エコノミークラス症候群)を予防するための両足についたマッサージ器のコード。

自分は自分が見えないけど、
ぢろ母にとっては、かなりショッキングな姿だったのではないかと思いました。

そして肺腫瘍は、良性である可能性は全体で5%とのこと。
手術中の簡易検査と腫瘍の様子とで「とりあえず良性」とは言われましたが、
摘出した腫瘍の細胞をしばらく分析して最終診断が出るのは3週間後。
まだまだ安心はできないと思いながら、
麻酔の冷めきらないぼんやりとしたままで、私はまた眠りに落ちました。
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#6 手術前日 [肺腫瘍闘病記]

職場の上司は、
大学院に行くために仕事を2年間休職し、
4月に職場復帰をしてすぐにまた療休をとってしまう私に理解を示して送り出してくれました。

大学院で学んだことは仕事に直結していることなので、
再び職場復帰した時にそれが生かせればいい。
心配しないで、しっかり治してこいと。

実は、私が入院を報告した上司は、
半年ほど前に胃を1/3摘出していた人でした。
似たような経験の者同士ならではの励ましの言葉もいただきました。


2011年5月、入院。
入院日は、手術前日でもありました。
前日ということでのんびりさせてくれるかと思いきや、
とても忙しい一日でした。

入院手続き・動脈からの血液採取(酸素の状態を見るためだとか…)・レントゲン・薬剤師からの服薬チェック・
麻酔医からの手術の説明・ドクターからの手術の説明・同意書の署名…

ざっと思い出してみるとこんな感じですが、
他にもあったような気がします。
大学病院での入院だったので、やたらと同意書にサインしました。
患者は研究材料でもありますからね…^^;。

あまりに忙しかったせいか、
この時点でも、私は自分が受ける手術について他人事でした。
ナースはいろいろと気を遣って話しかけてくれましたが、
自覚症状が全くなく、CTの画像上でしか見たことがない肺の影に
私はまだ実感がわきませんでした。

就寝前に、睡眠薬が処方されているので
服用するかどうかの確認がナースからありました。
私は眠れそうだということで服用を断り、翌日の手術に向けて、ぐっすりと眠りました。
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#5 大学病院に行く [肺腫瘍闘病記]

一週間後。
地元のドクターの紹介状を持って、県南にある大学病院に行きました。
自宅からは、高速道路を利用しても1時間半近くかかる場所です。

ぢろ母には、さすがにこれまでのことを話さないわけにはいかなくなりました。
ぢろ母は、これまでに大腸がん(ステージⅡ)と甲状腺がん(ステージⅠ)を克服しています。
だからこそ、これまでの通院は知られたくなかったわけなのですが、
震災の余震が頻繁にあったこともあり、全て話して、通院に付き合ってもらうことにしました。


大学病院では、呼吸器外科のドクターの診察を受けました。
そのドクターも、肺にあるものが良性か悪性かの確定診断をした方がいいとのことだったので、
胸腔鏡を利用した組織検査をすることにしました。
あっという間に入院日が決まり、GW後に最大2週間程度の入院をすることになりました。

さっそく血液検査。
アレルギーや生活習慣病の有無、がんの可能性などを調べるために、9本も血液を摂りました。


職場には何と言えばいいだろう。
そんなことを思いながら。
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#4 収束するはずが… [肺腫瘍闘病記]

2010年5月。
CTの結果は異常なし。
この「異常なし」とは、肺の影が成長していないことを表します。
8月と9月に、私が行っていた大学院での単位取得のための実習が予定されていたため、
次回のCTは、少し時間をあけて10月となりました。

2010年10月。
CTの結果、ドクターから不思議なことが起こったと言われました。
直径1㎝の2つの影が、両方とも直径5mmに小さくなっていました。
次回は3月にCTを撮って様子を見ましょうと言われました。


このまま、影が消えてしまうのではないかと、
その時は勝手にそう思っていました。


2011年3月。
CTの撮影と診察の予約日は、東日本大震災の1週間後でした。
しかし、震災の影響で通院していた病院にはかなりのダメージがあり、
急患と再来の患者しか受け入れの出来ない状況でした。
私は経過観察中だったため、診察を後日にしてもらうつもりで、
病院に問い合わせの電話を入れました。
しかし、電話に出られた方には
「予約が入っているのですから、都合が悪くなければ来てください」と返答されました。

「私のことはどうでもいいから、急患を優先してくれればいいのに」
そんなことを思いながら病院に向かいました。
案の定、病院の外来は患者でごった返していました。

CTを撮り、診察室に入ると、
ドクターは少し険しい表情をしているようでした。
昨年の10月の時点で直径5mmだった肺の影が、
5ヶ月の間に2つとも直径1.5cmに成長してしまっている。
これまで1年半経過観察を続けてきたが、今度こそ確定診断をした方がいいと考える。
しかし、水戸市近辺の病院では震災の影響で検体を取る手術ができない。
県南にある大学病院に紹介状を書くので、大変だがそちらに行ってほしいと。

4月に職場復帰を予定していた私には、寝耳に水の話でした。

仕事はどうしよう。ぢろ母にはどう説明しよう。

そんなことを思いながら、大学病院への紹介状とこれまでの検査データを渡され、
病院を後にしました。
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