「死」について考えたこと [肺腫瘍闘病記]
つい先日、私の元上司が癌で亡くなりました。
元上司は、私の仕事の方向性を決めるきっかけを作ってくれた人で、
私の今があるのは、元上司のおかげだと思っています。
通夜に参列したのですが、
つい2年ほど前まで仕事をしていたためか、
大勢の仕事関係の方々が訪れていて、会場から溢れていました。
私は時間ギリギリに着いたので、会場には焼香まで入ることができず、
隣の控室で、会場から溢れた他の参列者と会場のモニター画面を見ていたのですが、
そんな環境でふと、元上司は肉体の死は迎えたかもしれないけど、
何もかも無くなってしまったわけではないのだということに気がつきました。
控室にいた人達は、モニター画面を見ながら
それぞれに元上司の思い出話をしていました。
とても人間味のあるエピソードがあちこちで聞こえ、
話している人達の顔には笑顔がありました。
もう元上司との新しいエピソードは作れないけど、
それぞれの心に、元上司はこれからも生き続けるのだなと実感しました。
人の死は悲しいことですが、その中にも一筋の光が見えたような気持ちになりました。
私は子どもの頃にぢろ父を亡くし、
それ以降も身近な人の死をたくさん経験してきました。
二度と会えないという喪失感や、突然遺されるという理不尽さを、
その度ごとに感じては悲しんできましたが、
それは、「人の死は全ての終わり」だと
私が感じていたことによる結果だったのだと気づきました。
私が今の道を歩いているのは、
ひょっとしたら元上司の単なる思いつきだったのかもしれません。
でも、それが単なる思いつきだったとしても、
私はこれからもこの道を歩き続けるでしょう。
それはきっと、私が死ぬまでずっと。
私がこの道を歩き続ける限り、元上司の「ことば」は生きています。
やがて、私の「ことば」によって、
私と同じ道を歩いてみようと思う人が現れたら、
その人が歩くのを止めるまで、私の「ことば」もその人の中で生き続けるのだと思います。
肉体の死を恐れるよりも、
今をどう生きるかを追求していくことが大切なのではないかと、
元上司の死から思い至ったというお話でした。
ちょっと哲学入っちゃいましたね(^_^;)。
再発してから、人の死に向き合うのは今回が初めてなのですが、
私の中での「死」の受け止め方が変わってきています。
元上司は、私の仕事の方向性を決めるきっかけを作ってくれた人で、
私の今があるのは、元上司のおかげだと思っています。
通夜に参列したのですが、
つい2年ほど前まで仕事をしていたためか、
大勢の仕事関係の方々が訪れていて、会場から溢れていました。
私は時間ギリギリに着いたので、会場には焼香まで入ることができず、
隣の控室で、会場から溢れた他の参列者と会場のモニター画面を見ていたのですが、
そんな環境でふと、元上司は肉体の死は迎えたかもしれないけど、
何もかも無くなってしまったわけではないのだということに気がつきました。
控室にいた人達は、モニター画面を見ながら
それぞれに元上司の思い出話をしていました。
とても人間味のあるエピソードがあちこちで聞こえ、
話している人達の顔には笑顔がありました。
もう元上司との新しいエピソードは作れないけど、
それぞれの心に、元上司はこれからも生き続けるのだなと実感しました。
人の死は悲しいことですが、その中にも一筋の光が見えたような気持ちになりました。
私は子どもの頃にぢろ父を亡くし、
それ以降も身近な人の死をたくさん経験してきました。
二度と会えないという喪失感や、突然遺されるという理不尽さを、
その度ごとに感じては悲しんできましたが、
それは、「人の死は全ての終わり」だと
私が感じていたことによる結果だったのだと気づきました。
私が今の道を歩いているのは、
ひょっとしたら元上司の単なる思いつきだったのかもしれません。
でも、それが単なる思いつきだったとしても、
私はこれからもこの道を歩き続けるでしょう。
それはきっと、私が死ぬまでずっと。
私がこの道を歩き続ける限り、元上司の「ことば」は生きています。
やがて、私の「ことば」によって、
私と同じ道を歩いてみようと思う人が現れたら、
その人が歩くのを止めるまで、私の「ことば」もその人の中で生き続けるのだと思います。
肉体の死を恐れるよりも、
今をどう生きるかを追求していくことが大切なのではないかと、
元上司の死から思い至ったというお話でした。
ちょっと哲学入っちゃいましたね(^_^;)。
再発してから、人の死に向き合うのは今回が初めてなのですが、
私の中での「死」の受け止め方が変わってきています。
今日のコメントはなかなか進みませんでした。
何度も書いては消して… 書いては消して…。
私はjirorinさんのようにシッカリとした
思い入れがまだまだできないように思います。
余り人には話しませんが…
ただ最近歳を取ったせいでもあるのか
全ての生き物の命が尊くて仕方がありません。
キリがないので ある程度で抑えるようにしています。
ごめんなさい。
jirorinさんの記事の視点とは違いましたね。
by Kiki (2015-07-28 07:05)
尊敬する上司の方
ジロリンさんの心の中に生きつづけると思います
主人は人間生まれる時一人なんだから
死も一人 静かに受け止めるようにと言います
親など亡くなるとずっと立ち直れないで居る方もいますが
親が生きてる内に自分が出来る事をしておくと
後悔しないで明るく生きられるように思います
暑い毎日 身体に気を付けてね マハロ
by ミーミー (2015-07-28 07:05)
姉と兄が癌で亡くなりました。
二人とも同じ年齢の時です。
そして今、その年齢を迎えました。
今年を無事に終えれば乗り越えられたと
言えるのかなと死をいつも考えています。
今を一生懸命に生きて人生を楽しんで
いるように感じられるぢろりんさんをいつも
応援しています。
by 長友 (2015-07-28 16:15)
Kikiさん、いらっしゃいませ。
私もKikiさんと同じような感覚になります。
外で遊んでいる子供達が
すごくキラキラしていて、切なくなることがあります。
「死」の捉え方は人それぞれで、正解はないのだと思います。
by jirorin (2015-07-28 20:01)
ミーミーさん、いらっしゃいませ。
今日も職場の上司と元上司の話をしました。
上司は元上司が亡くなる10日前にお見舞いに行ったほど
元上司との距離が近い方で、
話の最後の頃には2人とも目がウルウルでした。
でも、私達の中で
元上司の「ことば」は生き続けるのだと思います
by jirorin (2015-07-28 20:06)
長友さん、いらっしゃいませ。
私もぢろ父が亡くなった時の年齢を
子どもの頃からずっと意識しています。
きっとその年齢を超えられたら、
違う風景が見られるのかなと思います。
最初の腫瘍摘出手術をした後に、
かなり長い間体調不良が続いたので、
「今」やれることは「今」やろうと思うようになりました。
次の摘出手術はいつになるか分かりませんが、
悔いがないようにしたいと思います。
by jirorin (2015-07-28 20:17)
初コメです。私は、両肺に小さな良性腫瘍が沢山あるのでホルモン治療をしています。仕事も家事も普通にしています。お互いに普通に頑張っていこうねー
by みょんみょん (2015-09-04 09:50)
みょんみょんさん、いらっしゃいませ。
コメントありがとうございます(*^_^*)。
そうですね。
与えられた「今」を普通に頑張っていきましょう(*^_^*)。
by jirorin (2015-09-04 21:40)
久しぶりに、ブログを見させてもらいました。お元気そうでなによりです。
2011年にコメントさせてもらい、2回目
私も肺腫瘍で、再、再、再発。
今回は、気管内に腫瘍が出来てしまい、なかなか手術が出来ないとのこと。今までの病状の事もあり、今回は薬で治療をすることに昨日決まりました。つまり、抗がん剤です
腫瘍自体は、悪いものでは無いのですが、良いものでもなく、ほっとけば悪くなる可能性や、息が出来なくなることもあるとのこと
ショックでした。今はまだ、頭では分かっているけど、気持ちが混乱しています
明後日か、来週そうそうに治療開始です
とっても、怖くて不安です。
by らんこ (2015-09-09 14:00)
らんこさん、お久しぶりです(*^_^*)。
ブログを読まれたと思いますが、私も再発しました。
やはり、この病気には再発がつきものなのでしょうか。
私も今回の経過次第では再手術や
その後の様々な治療法があるとほのめかされています。
正直、私にも先の見えない怖さがあります。
私の次回の検査は11月ですが、
その先私が執行猶予となるのか、
いきなり長期の治療になるのかは誰にも分かりません。
今は純粋に「今」を大切にしていこうと、私は思っています。
らんこさんの治療がうまくいくことを祈っています。
by jirorin (2015-09-09 22:00)